– なぜ軽井沢で一人暮らしを始めたのか –
ご訪問いただきありがとうございます。
2019年に、長野県、軽井沢町に移住した“ぐじ”と申します。
ブログの始まりに、なぜ軽井沢で暮らすことになったのか、背景の話からしようと思います。
のっけから恐縮ですが、2019年に離婚をしました。その時私は62歳だったので、いわゆる熟年離婚というやつです。
離婚は人それぞれ、さまざまな理由があると思いますが、私の場合は、息子2人が成人して手を離れ、お互いの生活感の違いがあからさまに出てきたという感じでしょうか。そしてそれぞれのこれからの人生のために離婚しようということになりました。
離婚は財産分与が争点となり、調停となったため、合意まで1年ほどかかりました。まぁ大した財産ではないのですが。
財産分与に関係して、当時は横浜の戸建てに住んでいたのですが、自分なりに建築にこだわった思い入れがある家だったので、当初は離婚後もその家に住み続けたいと思いました。
しかし別れた妻もその家に住みたいとの希望でした。
そのため離婚話の割と早い段階で、その家に住み続けることになる息子2人のことを考え、私が出て行くことにしました。
そこで私はどこかに住まなければならなくなったわけです。
選択肢としては、茨城県の実家で暮らすとか、都心のどこかに小さなマンションを買うとか、通勤のこともあり、いろいろと考えました。
ただその時にネガティブな選択になってしまうことにはすごく抵抗がありました。むしろセカンドライフとして、何かこれまでできなかったことができる新しい生活をしたいと思いました。そこで昔から自然が好きだったので、東京に通勤ができる別荘地に移住するのはどうか?という考えが浮上したわけです。
当時はコロナ禍前でしたが、311の経験から、都会から離れたいという気持ちもあったと思います。幸い研究職なので、授業の時間以外は自分である程度通勤の融通もききます。
通勤が可能な別荘地と言えば、熱海方面や上越方面など東京を中心に広範囲に渡りますが、その中で私には軽井沢が一番魅力的に思え、一択で候補地としました。
軽井沢を候補地に決めたのは、次のような理由からです。
1. 東京まで通勤が可能である
勤務先の大学は、東京の北部にあるので、新幹線通勤すれば、上野で乗り換え、1時間半程度で行けそうでした。それまで住んでいた横浜の自宅や、実家からの通勤時間とあまり変わりません。
2. 自然に囲まれている
昔ドイツに4年ほど住んでいたのですが、街は豊かな自然に囲まれ、心安らぐ暮らしでした。この刷り込みがあるためか、もう一度自然の近くでゆったり暮らしたいと思いました。
3. 都会的な要素もある
ただし自然が近くても、人里離れた暮らしは、たいくつではないかと想像しました。おいしい店やショッピングの楽しみなど、都会的な要素が普段の生活の中で気軽に手に入る環境もほしいと考えました。
4. 歴史がある
歴史にこだわるのは珍しいかもしれませんが、これもドイツ暮らしの影響かと思います。
当時、Bad Homburgというローマ時代に作られた由緒ある街が近くにありました。ここはモンテカルロラリーの出発地にもなっていた有名な温泉地で、保養施設や静養のための大きな公園などがありました。
その公園には、幹の直径が1mもあるような巨木が普通に多く残っていて、旧市街の街並みとも相まって、日本の生活では感じたことのない、歴史の中に身を置く “安堵感”という心地よさを体験しました。
それから大樹がある土地は無条件に尊敬するようにしています。
このような経験から、自分の終の住処になるかもしれない場所は、歴史を感じられる土地がいいなと思いました。
5. スキー場がある
私はスポーツをほとんどやらないのですが、唯一スキーだけは若い頃から好きで、久しぶりにスキーに返り咲きし、現在主流のカービングターンに挑戦してみたいと思いました。
6. 将来息子たちが家族を連れて遊びに来たくなる
軽井沢であれば、有名な観光地ですので、友人や息子たち、さらに将来は息子たちの家族も遊びに来たいと思うのではないかと考えました。
以上ざっくりですが、軽井沢を移住の候補地としたきっかけです。
– 軽井沢に住むということ –
<軽井沢のどこに住むか?>
それまで軽井沢に行ったことはありましたが、知っていると言えるような場所ではありませんでした。
そこで最初は不動産業者から軽井沢での生活や物件の注意点などを聞きながら、中古の別荘探しから始めました。軽井沢という自然豊かな環境に移住するので、当初より都会的なマンションは候補には入れませんでした。
しかし10軒以上中古別荘を内覧したのですが、私の予算の範囲ではどうもピンとくるものがありません。軽井沢らしい雰囲気があれば、永住者には古くて寒そうで、手直しするとほぼ建て直しになってしまう。
新しめの家は、いわゆる表面的に豪華に見せたい別荘建築であったり、都会の一般的な住宅と同じ雰囲気だったり、隣家との距離が近かったりと、どうも自分にはしっくり来ません。
また自分が希望する間取が特殊なのでしょうか、一般的な小分けされた間取りでは、リフォームするにしても改修が大掛かりになりそうでした。
離婚して予算も限られますが(ここ重要!)、結局中古の家をリフォームするのも、新築するのも、私の場合はコスト的に極端には変わらないのではないかと考え始めました。
あらためて説明すると、予算に関しては本当にカツカツです。具体的に言えば、財産分与のうち、横浜の不動産は別れた妻のものとし、私が手に入れたのは、大学の前に勤務していた自動車会社の退職金にあたるような額です。これで新しい生活を一から始めなくてはなりません。それは軽井沢で別荘暮らしをするという優雅なイメージとはかなり違います。つまり、いかに安く効果的に自分の生活の基盤となる棲家を手に入れられるか、ということが切実極まりなかったわけです。
そしてそのためには、できるだけ安い土地を探し、そこに性能が良くデザイン的にも納得がいく住宅をとにかく安く建てるしかない、というところに行きつきました。
<そもそも軽井沢とは何か?>
おおげさなタイトルですが、軽井沢の土地探しを始めながら、観光地や別荘地というおぼろげなイメージしかない軽井沢について、もっと知りたいと思いました。
引用元:今昔写語(こんじゃくふぉとがたり)今昔写語軽井沢 浅間山の古写真 | 古い写真のあの場所は、今はこんな風になってる。あなたの好きなその場所の昔の姿を追いかけてみませんか。
一口に軽井沢と言っても場所により特徴は大きく異なります。軽井沢の地域による景観や雰囲気の違い、生活するためのお店や道路事情などは、物件探しをしながらだんだんと分かってきました。月に何回か土地探しに回りましたが、各地域の特徴が自分の生活感に合うかなどは、特に重要と感じました。
そして地域の特徴が分かってくると、次に気になりだしたのは、軽井沢はどのように今に至ったかという歴史的な側面です。
こんなことは移住するのに絶対必要なことではありませんが、歴史ある土地に新しく住まわせてもらうためには、その場所のことを知っておきたいと考えたわけです。
そこで、軽井沢や別荘建築に関した多くの書籍を読みました。いくつか印象に残っている本をご紹介すると、次のようなものがあります。
歴史)
軽井沢物語(講談社文庫)宮原安春著
軽井沢の生い立ちや、別荘地の歴史など、執筆時に著者が新たな資料の発掘や、当時ご存命だった関係者にインタビューを行うなどしてまとめた貴重なドキュメンタリー。軽井沢に対する深い愛情を感じます。
特に印象に残っているのは、江戸時代は普通の宿場町であった軽井沢が、一時の衰退を経て、いかにグローバルな感覚を持つ保養地として発展したか。その根幹はどこにあるのか。またそこに、今に続く万平ホテルやつるや旅館、星野リゾート、西武不動産などがどのように関わっていったかなどです。
軽井沢駅の南側、プリンスショッピングセンター横に日本離れした幅の広い道路がありますが、この道路は西武グループの始祖である堤康次郎により、大正時代に完成していたことには驚かされました。
また軽井沢らしい話としては、徳川最後の将軍である慶喜の孫にあたり、当時13歳だった徳川喜和子のくだりがあります。
彼女は乗馬の名手で、大正時代に軽井沢で馬を駆り、その長身で颯爽とした姿から外国人子女たちには「キワ」と親しまれ、また日本人ながら、多くの外国人のあこがれの対象でもあったということです。
このような少女がかつて軽井沢でいきいきと過ごしていた景色を想像すると、映画やドラマのワンシーンのように感じます。
別荘建築)
軽井沢別荘史―避暑地百年の歩み (住まい学大系) 宍戸実著
軽井沢の別荘地や別荘の歴史をまとめたもの。その始まりから近代に至るまで、軽井沢の別荘地と別荘がどのように開発され、現在に続くイメージが形成されたかがよく理解できる本。
これによれば、軽井沢の別荘作りは1890年代に宣教師であったアレキサンダー・クロフト・ショーなどによる日本家屋を移築、改造した簡易的な建築から始まり、1910年代には、日本で初めてのハウスメーカーである「あめりか屋」によるバンガロー住宅と呼ばれる様式が普及。
細川護立や大隈重信の別荘もこの「あめりか屋」によるものだそうです。
また同時期にアメリカ人のウイリアム・メリル・ヴォーリズによる「睡鳩荘」や「アームストロング山荘」、自身の「9尺2間の山荘」などの建築が行われ、続いて、戦前、戦後のアントニン・レーモンド、吉村順三らによる日本のモダニズム住宅が生まれます。
そしてその後、多くの著名な建築家が軽井沢に別荘を建築し、現代の多種多様な建築様式へと繋がっていきます。
こういった流れの中で、自分の家はどうしたいのか。そのイメージ作りの基礎となりました。
建築)
小さな森の家―軽井沢山荘物語 吉村順三著
日本のモダニズム建築の巨匠である著者が、1962年に自身と家族のために軽井沢に建てた山荘の解説書。この山荘は建築界の掌中の珠(しょうちゅうのたま)とも言われる名建築。
この本だけ読むと、この山荘がすべて吉村順三の個人的な視点で設計されたと思いがちですが、歴史的に見ると、氏の師匠であるアントニン・レーモンドによる建築特徴や、ウイリアム・メリル・ヴォーリズの「九尺二間の山荘」など、軽井沢という土地とそこでの暮らし、別荘のあり方を氏は深く見つめ、その流れの上にこの山荘のコンセプトを置いたと私は強く感じます。
それはこの山荘のアプローチの造作が、軽井沢唯一の石畳である「幸福の谷」にそっくりなことでも分かります。
後に目白の吉村設計事務所で、この山荘作りを現場で指揮した平尾寛氏にお話をうかがう機会があり、たくさんの裏話を聞かせていただきました。
多くの住宅建築家が吉村氏の影響を受けていると言われますが、氏や弟子筋の関連した書籍を通じ、私もたくさんのことを学ばせていただきました。
詳しくは追々お話ししていきたいと思います。
– 軽井沢に移住して後悔していないか? また老後の不安は? –
さて、次の「軽井沢移住 vol.2」以降は具体的な土地探しや家づくりの話になりますので、先に移住した感想をお話ししたいと思います。
私が移住したのは、家が完成した後、2019年の暮れでした。それからだいぶ経ちましたので、多少生活も落ち着き、実際に住んだ感想を実体験としてお伝えできるのではないかと思います。
その感想を一言で表すと、間違いなく「移住してよかった」です。後悔はまったくありません。
そう思う一番の理由は、自然の中で暮らすことが、自分らしい生活に結びついているということです。
簡単に言えば、美しい景色の中、ゆったりとした森の暮らしを楽しんでいます。
これには今後お話しする予定の、「自分の家を軽井沢の自然や環境との繋がりを大事にデザインした」ということが大きいと思います。
私の家の雰囲気は、「軽井沢移住と私の山荘」をご参考にしてください。
また森暮らしとはいえ、日常の買い物はスーパーに信号も通らずクルマで10分以内に行けますし、ネットショッピングは翌日に問題なく届きます。生協の宅配も利用できます。そのため生活物資に困るようなことは一切ありません。
一方で予想はしていたもののやはり不便なこともあります。それは観光地の宿命ですが、ビジターが多く生活に工夫が必要ということです。
例えばハイシーズンや週末には道路やスーパーなどが混みますので、買い物や飲食店に行く時間をずらしたりする必要があります。
まぁ、私の場合は1人暮らしなので、この点はいかようにも工夫ができます。例えばスーパーの買い物などは夜に行くようにしています。特売品も出ますし(笑)。
道路に関しても混む曜日や時間帯を避けたり、裏道を利用したりしているので、あまり大きな問題とは感じていません。
ただ1人暮らしの場合、以外と不便なのは、都市部のように気軽に行ける定食屋さんみたいなものが少なく、外食をする場合、それなりにお金がかかるというところでしょうか。たまに行く分にはよいのですが、毎日となるとさすがに観光客と一緒に人気のレストランに並ぶというのも考えにくく、必然的に自炊の割合が多くなります。
これは仕事が忙しい時には面倒と感じることもありますが、もうだいぶ慣れました。救いなのは、軽井沢や近隣で手に入る地元の野菜がとてもおいしいことです。さっと茹でて塩とオリーブオイルだけで、どれも甘みがあり十分ご馳走となります。
友人は口々に「こんな寂しいところによく1人で住めるなぁー」と言いますが、春先の目が覚めるような新緑、夏の強い光に揺れる枝葉とその影、秋の紅葉と煙のように立ち込める霧、冬の凛とした雪景色と氷をまとった枝など、季節による自然の変化の中、毎日美しい景色を見ながら気持ちよく暮らしています。
それに思いもよらない動物たちの訪問を家の窓から見ることができます。リスのチョロチョロとした動きは愛らしいですし、キツネが電柱に犬のように足をあげてオシッコをするのを知りました。
そういったこともあり、あまり寂しいと感じたことはありません。まぁ、このあたりは気楽な1人暮らしを好む性格によるのかもしれません(笑)。
一方である程度覚悟していたのが自然との付き合いです。
ただこれも実はあまり苦労はしておりません。たとえば冬に一旦雪が降ると、軽井沢は寒すぎてなかなか溶けませんが、幹線道路や別荘地内の主要な道路はすぐに雪かきがされます。そのため自分で雪かきが必要なのは、自分の敷地の中でクルマが出られるようにしておく程度です。それに人が歩いていないので、都会のように通行人に気を遣って自宅の前の雪かきなどをする必要はありません。
また樹木に囲まれていますので、秋から冬にかけて落ち葉の量は半端ではありません。落ち枝?という1mから2m、時に3mもあるような枝もよく落ちています。ただし、これらは都会のように綺麗に掃除をする必要はありません。そもそも綺麗にすることは不可能です。
苔庭を作っておられる方々は、常に落ち葉が苔を覆わないようにしないといけないため大変だと思いますが、我が家は落ち葉を山の自然な風情として楽しんでおります。もちろん所々ブロアーで飛ばす必要はありますが、落ち葉は生態系として腐葉土となり、山の栄養となっていくので、基本自然のままの姿にしています。
たまにブロアーで飛ばせない吹き溜まりの落ち葉や落ち枝を片づける必要はありますが、ゴミとしてまとめると大変なので、庭にファイヤーピットを自作し、そこで燃やすようにしています。それはそれでデイキャンプのように楽しい作業です。ホクホクの焼きイモも作れます(笑)。
それと街暮らしでは、庭の雑草対策などが大変ですが、森暮らしの場合は、何を雑草とするのかよくわかりません(笑)。
私の所に生えてくるのは、名も知らない草ばかりですが、牧野富太郎の「雑草という草はない」という言葉通り、いずれも名前があるはずです。それを雑草として扱うのか、あるいは観葉植物として扱うのかは、結局主観によるものと思います。
もちろん一般的に雑草とされる草は世の中に数多くあります。そう扱われる理由を考えてみると、見苦しい見た目とすぐに広がってしまう繁殖力にあるのではないかと思います。
それが私の住んでいるあたりでは、見苦しい草というのを見たことがありません。冬が寒すぎて土が凍り、オールリセットされるためでしょうか、毎年出てくる草はいずれもかわいらしい姿で、私は雑草と感じません。−10°という冬場の気温のせいか、無粋な外来種もいないように思います。
このように、軽井沢に限らず、自然に近いリゾートでの暮らしというものは、都市部の感覚とはずいぶん異なる価値観や生活感があるように思います。それを気に入るかどうかは、やはり自然が好きかどうかに尽きます。
自然が好きであれば、リゾート暮らしは思っていたよりも大変ではなく、私は心よりおすすめします。
この先の老後については、まだ見通しが立ちませんが、最悪介護施設に入ることも視野に入れています。その際に軽井沢の不動産は、多少の資金源になると考えています。
また首都圏の住宅と違い、軽井沢の住宅は、古くなってもモノが良ければ、ある程度市場価値を保つことができるとも聞いています。その意味でも土地を含めた魅力的な不動産を持つことは大事であると思います。
さて、以降は土地探しや家づくりの具体的な話をしていきたいと思います。リゾートでの物件探しや、家づくり、別荘建築などにご興味があれば、ぜひお立ち寄りください。
2. 軽井沢移住 vol.2に続く。